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【無料楽譜】ヴィヴァルディー作曲バイオリンソナタ『 ラ・フォリア』(Vivaldi/la foria violin Sonata)

楽譜のご紹介

 フォリア(folia)とは、イベリア半島起源の舞曲。15世紀末のポルトガルあるいはスペインが起源とされますが、いずれかは定まっていません。サラバンドと同じく3拍子の緩やかな音楽です。フォリアの語源は、「狂気」あるいは「常軌を逸した」という意味があり、もともとは騒がしい踊りのための音楽であったことが窺われますが、時代を経て優雅で憂いを帯びた曲調に変化しました。

 フォリアは、低音部の進行及び和声進行が定型化されるにつれて、これをもとに変奏曲形式で演奏することが広まりました。17世紀にはイタリアで大流行し、多くの作曲家が採り上げています。このような手法は、シャコンヌやパッサカリアなどの変奏曲、あるいは『パッヘルベルのカノン』とも共通するものです。

 とくに、アルカンジェロ・コレッリの『ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ』作品5の12曲中最後に置かれた『ラ・フォリア』がよく知られ、フランチェスコ・ジェミニアーニはこの楽曲を合奏協奏曲に編曲しています。その後も各時代で扱われたほか、フォリアとは明記されていないものでも、フォリアの低音部進行を部分的に採用している曲も多いです。

 コレッリの曲が有名になったため、フォリアそのものがコレッリの作品と同一視されるという誤解も広まり、20世紀になって、セルゲイ・ラフマニノフは、フォリアを題材にした変奏曲を作曲したとき、『コレッリの主題による変奏曲』作品42という題名をつけているほどでした。

 ヴィヴァルディの生きた時代は、1678ー1741年です。なかなかつかみずらいのがイタリアの歴史ですが、ヴィヴァルディーが生まれる30年ほど前にガリレオ・ガリレイがなくなっています。ガリレオが生きたところぐらいが、魔女狩りが盛んにおこなわれた時代でした。やっとカトリックとプロテスタントとの戦争が終わり、長い戦乱からの復興ということもあったのでしょうけれど、それがイタリアにどう影響したのかちょっと難しくて、わかりません。理由としては、どうしても、現在の国民国家としてしかイタリアを見ることができないからだろうと思います。

 1678年3月4日、イタリアのヴェネツィアのカステッロ区に生まれました。誕生日は長らく不明でしたが、20世紀になって、当時の洗礼記録が教区教会で発見されました。瀕死の状態で生まれたため、助産婦が仮の洗礼を授け、2ヶ月後の5月6日に正式な洗礼を生家の正面のサン・ジョヴァンニ・イン・ブラーゴラ教会で受けます。このことは、ヴィヴァルディが生まれながら病弱であったことを物語っています。

 父親ジョヴァンニ・バッティスタは、理髪師(当時の理髪師は簡単な外科医(床屋医者)でもあった)として家計を支えていましたが、同時にヴァイオリンの才能に恵まれ、ヴェネツィア旅行案内のパンフレットに名ヴァイオリニストとして紹介されるほどでした。

 同じブレーシャ出身のジョヴァンニ・レグレンツィらとも親交があり、1685年にはサン・マルコ大聖堂のヴァイオリニストに選ばれました。

 22歳のときに仕立屋の娘カミッラ・カリッキヨと結婚し、長男としてアントニオを授かります。夫妻はアントニオの他に夭逝した子も含めて男の子4人、女の子5人を授かりますが、彼らの中から音楽家は誕生しませんでした。

 幼少時から父親のもとでヴァイオリンに習熟すると共に、父親の幅広い音楽仲間から作曲法などを学びます。レグレンツィを含むこれら音楽仲間のうち、誰がヴィヴァルディの教師となったかについてはさまざまに推測されています。

 庶民階級のヴィヴァルディが、やがて世に出てさまざまな階級の人と引け目なく交わるには、聖職者になるのがもっとも確実な方法でした。1688年、10歳で当時サン・マルコ大聖堂とサン・マルコ広場を挟んで向かい合って建っていたサン・ジェミニアーノ教会付属学校に入学しました。1693年、15歳で剃髪し、1699年、21歳で下級叙階を得て、1700年、22歳で助祭となり、翌1703年の3月25日に、25歳で司祭に叙階されます。彼は「赤色」に因むRossi(ロッスィ)の綽名(あだ名)で呼ばれた父親と同じく赤い髪であったために、「赤毛の司祭」Il Prete Rosso(イル・プレーテ・ロッソ)と呼ばれていました。

 ところが、ヴィヴァルディには生まれつき喘息と思われる持病があり、特に司祭としてミサの説教に立っている時に発作が起こると、ミサの続行が困難と成ることがたびたびあり、9月にはミサを挙げることを免除され、平服の在俗司祭となりました。1346年設立という由緒あるピエタ慈善院付属音楽院 でヴァイオリンの教師として教鞭をとり始めることで、本格的に音楽を手掛けます。

 楽譜のほうはフルートなんかではオクターブ上げたほうがいいのかもしれません。毎度言い訳になりますが、トランペット中心に作っているため、本来よりもオクターブ低くなっている場合があります。→その後、フルート用の楽譜と、汎用性のあるものを後半につけた楽譜をあげましたので、いいのではないかと思います。後半の楽譜はあまり低い音が出てこないように調整しました。また、オリジナルの調に変えました。

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演奏例

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