楽譜のご紹介
この曲は、1896年のクリスマスに作曲されています。スーザが妻とヨーロッパを旅行中に当時「スーザ吹奏楽団」(スーザ・バンド)のマネージャーであったデイヴィッド・ブレークリーが死去したとの連絡を受け、アメリカに帰国することになりました。
スーザはアメリカへ帰る途中の船上でこの曲を頭の中で作曲し、到着するとすぐに楽譜にしたと自伝『マーチング・アロング』(1928年)の中で語っています。スーザは以降亡くなるまでほとんど全てのコンサートでこの曲を指揮したが、商業用録音は唯一1909年のものしかありませんでした。
多くのアメリカの演奏会ではしばしば最後の曲目の直後に続けて自然に演奏され、聴衆はそれに合わせて手拍子を打つようになっています。
多くの楽団は、前面にピッコロ奏者を配置して有名なピッコロによる中間部(トリオ)の助奏部分(オブリガート)の旋律を最初のリピート部から演奏するスーザ吹奏楽団形式のアレンジを採用する傾向があります。最後のグランディオーソの部分では金管楽器もピッコロに合流し、そのカウンターメロディ(オブリガート)部分を展開するという形です。
また、アメリカのサーカスや劇場などではこの曲は災害行進曲と呼ばれ、緊急事態を示す伝統的なコードとして使われています(日本ではベートーヴェンの『運命』などがかかる場合があります)。この曲は、劇場職員の事態の把握と聴衆がパニックを起こさないように避難することを助ける目的です。サーカスの楽団は他の状況下では絶対にこの曲を演奏しないということです。