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【無料楽譜】「私の彼氏」ガーシュイン(The Man I Love/ Gershwin)

映画のシーンで吹き替えですが。タシカ、リンダ・ロンスタットだったと思います。

楽譜のご紹介

この曲も最近、めっきり聞く機会がなくなった曲の1つとなった気がします。この曲を初めてトランペットで吹いたのが、50年以上前の中学生の時でした。確か、全音出版だったと思いますが、A6版の『Jazzスタンダード メモ・アトランダム』というものがあって、その中にこの曲があった記憶があります。吹いてみて、なんだか今までにきいたことのないような不思議な曲で、自分が間違えて吹いている気がして、自信がなかったのですが、後年、ラジオから流れてきたこの曲を聴いて、やっぱりそうなんだと安心したのを覚えています。

今は、いろいろなジャンルの曲がメディアを通して、洪水のように流れていますので、このように感じる若い人もいないでしょうけれど、経済学でいわれる限界効用逓減の法則(簡単に言うと、品物がたくさん流通すると、その品物の相対的な価値が下がっていくということ)が働いて、逆にありがたみが感じられないような気もします。

 この曲、”The Man I Love”は、ガーシュイン兄弟(ジョージ作曲、アイラ作詞)のスタンダードナンバーです。邦題『私の彼氏』。1924年ミュージカル『レディ・ビー・グッド』用に書かれたものです。しかしロード・ショーのときは使われたものの、ブロードウェイ公演では削除されます。結局、曲が単独で長く愛される形でスタンダードナンバーとなった例の一つになっています。

この曲の作曲家ジョージ・ガーシュインの曲は、多くはスタンダードナンバーとして、知らずに聞いている場合が多いいと思います。私の場合は、はっきりガーシュインの曲として認識していたのが、『ラプソディー・イン・ブルー』とか、『巴里のアメリカ人』といったものでした。

そんなジョージ・ガーシュインはユダヤ系ロシアの移民の息子として、ニューヨークのブルックリンに生まれました(1898年、もとの姓はゲルショヴィチ Gershovich < *Hirschowicz)。

初めてクラシック音楽に触れたのは小学生のときに聴いたドヴォルザークの「ユーモレスク」だということです。この辺は、やはり時代なのだろうと思います。ここまでは、私もいい勝負をしているのですが、その後はもちろん大きく違います。

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父親は、ジョージが12歳の時、兄のアイラ・ガーシュウィンに音楽を学ばせようとピアノを買ってやったが、文学者肌のアイラはピアノを弾かず、代わってジョージがピアノに親しむことになり、13歳の時にピアノ、和声を習いました。(私がこの年齢の時、ブラスバンドに入ってトロンボーンを一生懸命吹いていたころです。)

出世作となったのは、作詞家アーヴィング・シーザーとの共作になる1919年の歌曲「スワニー」で、人気歌手アル・ジョルソンに気に入られて彼が繰り返し歌ったことからヒットし、人気ソングライターとなります。

1920年代以降は、作詞家となった兄アイラ・ガーシュウィンと組んで、レビューやミュージカル向けに多くのポピュラー・ソングを送り出した。ガーシュウィン兄弟によって作られ、後年までスタンダード・ナンバーとして歌われている歌曲は『私の彼氏(The Man I Love)』『バット・ノット・フォー・ミー』『アイ・ガット・リズム』などをはじめ、おびただしい数に上ります。

クラシックにも取り組み、1924年には『ラプソディ・イン・ブルー』(Rhapsody in Blue)を発表。当時ガーシュウィンにとって管弦楽法は未知領域だったためファーディ・グローフェの協力を得て、ジャズとクラシックを融合させたこの作品は「シンフォニック・ジャズ」の代表的な成功例として世界的に評価されました。

この時、ガーシュインは25、26歳です。若くして、その才能を開花させたといっていいと思います。しかし、脳腫瘍でわずか38歳で亡くなっています。今と違い、医療の発達していない当時は、相当の苦痛を伴う病気であったようです。

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演奏例

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