楽譜のご紹介
荒井(松任谷)由実さんの歌に『ひこうき雲』というのがあります。なんであの子は一人で先に死んでしまったのかという、素朴な不条理な感情を歌っていて好きな曲です。それと全く逆な内容ともいえるのが、庭の千草というこの曲です。皆なくなっていって、自分一人がこのバラのように、夏の盛りを過ぎても咲いている、・・・・。そんな曲です。
70年代は都心に住んでいて、近所に古本屋街がありました。
よく、映画専門紙のスクリーンという雑誌の中古本が山のように店頭に積まれていました。昔は洋画鑑賞は結構娯楽の上位の位置を占めていたと思います。ですから、このような雑誌もあったわけです。そして、その雑誌には、洋画の憧れのスターの写真がふんだんに載っていました。
しかし、結構、値段の高い雑誌で、相当古い雑誌も手にでき、ずっと見ていくと、こんなに若くて綺麗な人が、こうなっちゃうんだ、怖いなあ・・・とよく思ったものです。そのうち、この人も、この人も、ぞくぞくと死んでいなくなっちゃう…。
でもどこか他人ごとで、自分だけはいつまでも若くいられるだろうと思っていました。しかし、そうでもないことが、徐徐にわかりました。50代、60代、70代とそれぞれ生きる意味が変わります。そういった意味では、私は気づくのが遅すぎました。身近にいたあの人もこの人も、去り、今は、一人。そんな曲の意味と思います。身に沁みます。
日本では、庭の千草という題名ですが、千草とはたくさんの草という意味で、その後の歌詞の中では菊が歌われているということらしいのですが、全く記憶にありませんでした。本家はバラですが、日本では菊ということにしたらしいです。ただ、夏の終わりというところが全く認識にありませんでした。一層寂しく感じる曲に思われます。
この曲の原題は、The Last Rose of Summerといいます。夏の終わりのバラで、他は散っているのに一輪だけ残って咲いているバラということです。
もうすべてのバラの花が散った後にまだ咲いているバラを年老いて、身内の者もみんななくなり、友人もなくなってしまって取り残されてしまった、寂しい身の上に投影して歌っている歌です。
この曲を習ったであろう小学生の時に、、この詩を理解するというのは難しいことだったと思います。