【アルトサックス用無料楽譜】佐々紅華『君恋し 』(Japanese Oldies”Kimi Koishi”Altosax sheet music

日本の名曲集
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作曲者の略歴

佐々 紅華(さっさ こうか、1886年7月15日 – 1961年1月18日)は、日本の作曲家です。本名は佐々 一郎(さっさ いちろう)。作詞も行なった作品があり、歌劇の台本も書き、グラフィックデザイナーでもありました。

1886年(明治19年)7月15日、東京府東京市下谷区根岸(現在の東京都台東区根岸)に生まれています。紅華が4歳の時、一家で横浜市に転居、旧制・横浜小学校(1946年統合廃校)、旧制・神奈川第一中学校(現在の神奈川県立希望ヶ丘高等学校)を経て、浅草区蔵前にあった旧制・東京高等工業学校(現在の東京工業大学)工業図案科に進学しました。同校の工業図案科は、1914年(大正3年)に廃止され、空白期ののち1921年(大正10年)に創立された東京高等工芸学校を経て、現在の千葉大学工学部デザイン学科に引き継がれた学科です。

小学校時代からの音楽好きが嵩じてはじめは東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)を受験したが、試験には受かったものの父親の意見で高工に行ったのだといいます。

高工を卒業すると東京市内の印刷会社に就職、音楽への思いを断ち切れずにいたが、次に務めた日本蓄音器商会(ニッポノホン、現在の日本コロンビア)では図案室に入り、当時ビクターの商標であった、犬が蓄音器に耳を傾ける図案(ニッパー)に対抗し、耳に手をかざして蓄音器に聞き入る大仏のマークを作成、当時「大仏はそんなに耳が遠いのか」との評判が立ったといいます。これは日本蓄音器商会の商標となりました。またレコードのポスター等のグラフィックデザイナーとしても頭角を現していきました。

音楽の面では、当時の雑誌の記事などを見ると、日本蓄音器商会の事務所を覗くと、ひたすら洋楽のレコードを聞きながら五線紙に写取る、紅華の姿が見て取れたといいますから、本当に好きだったのでしょう。

その後、童謡を作って山の手のおうちに蓄音機をウランとしたり、浅草オペラの勃興期にオペラを作ったりしますが、関東大震災から6年ほどたった時、1929年(昭和4年)に日本ビクターに入社し、この曲を作り大ヒットします。

その後、佐々紅華さんが亡くなった年に、フランク永井さんが歌ってリバイバルしました。享年74歳。埼玉県寄居町の自宅で亡くなったそうです。昭和36年の1月のことです。

演奏例

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