楽譜のご紹介
スコットランド民謡というのは広く知られているかもしれません。題名が正式には、『Auld Lang Syne』といい、意味は久しき昔という意味だそうです。よく年末、カウントダウンに使われる曲のようなイメージですけど、実は元の歌詞は旧友と再会し昔を思って酒を飲みかわすという内容だそうです。
日本の題名の『蛍の光』の蛍自体がもう見ることもなくなってしまいました。中には見たことが一度もないという人もいるかもしれません。別れの歌という詩の内容ですが、4番まであるということをついさっき知りました。この曲も中学生の時に、蛍の光行進曲として、卒業式のたびに演奏しました。
なお、よくパチンコ屋で流れていた閉店音楽は、3拍子のワルツになっています。もとは、古い映画で、『哀愁』という映画の中で、新年を迎えるときのカウントダウンとして使われていました。こんな内容で、戦後もリバイバルで私も見ました。
せっかくなので、この物語のあらすじは、こんな感じでした。百貨店やスーパーなどの年末の閉店時には、今年も無事すぎました、また来年もよろしくという意味で、3拍子のこの曲が流れていました。
舞台は、第一次世界大戦中に遡ります。イギリス軍将校のロイ・クローニン大尉(ロバート・テイラー)とバレエの踊り子マイラ・レスター(ヴィヴィアン・リー)はウォータールー橋でめぐり会います。空襲警報で逃げ遅れたマイラとともに、2人は地下鉄の駅へ逃げ込み体を寄せ合うのでした。明日戦地へ向かうというロイに、マイラはビリケン人形を渡します。その夜、マイラの舞台を観たロイは、彼女を食事に誘いました。その手紙がばれて、マイラはバレエ団長のマダム・キーロワに嫌味を言われます。
その夜、2人はキャンドルライトクラブで、ロマンチックなひと時を過ごします。閉店前、最後の曲は『別れのワルツ』(「オールド・ラング・サイン」/「蛍の光」のアレンジ)。演奏の終わりに近づくにつれ、楽団は少しずつキャンドルを消していきます。2人はダンスをしながら、ついに口づけを交わすのでした。
翌日、ロイの出征が2日延期されたことから、2人は結婚の約束をします。ロイの上官や親戚の許可もあっさりとれましたが、結婚式だけは午後3時以降はできないという法律により翌朝に延期されました。しかし、その夜ロイは突然の召集で戦場へと向かうことになりました。マイラは見送りに駆けつけますが、ほんの一目姿を見ただけに終わってしまいます。さらに、彼女はバレエ公演に遅刻し、解雇もされてしまいます。親友のキティも兼ねてからの不満をマダム・キーロワにぶつけ、ともに辞めるこちになります。
2人は仕事が見つからず、生活は貧しかった。ある日、ロイの母マーガレット夫人(ルシル・ワトソン)がロンドンに上京しマイラに会いに来るという。マイラは精一杯身なりを整えて、喫茶店で待ち合わせるが、たまたま目にした新聞にはロイの戦死の情報が載っていました。気を失うほどに動揺したマイラは、ロイの母との会話も不調に終わっていまいます。以降体調を崩したマイラは、キティがレビューの踊り子ではなく娼婦として生計を立てていることに気付いてしまいます。ウォータールー橋にたたずんでいたマイラは、声をかけてきた男に虚ろな瞳で応え、ついに娼婦に身を落としてしまいます。
そしてある日、いつものように客を探しに駅で目にした光景は、何と戦死したはずのロイの姿でした。偶然の再会を喜ぶロイ。マイラは号泣する。しかし派手な化粧と胸の開いた服という、自分の身なりを恥じ、戸惑いと葛藤を隠せません。しかしロイの強い説得で、マイラはロイと結婚することを決意し、ロイの故郷スコットランドへと赴くのでした。
しかし、あまりにも幸せなひと時と、自分を善良な娘だと信じるロイの伯父やマーガレット夫人の言葉から、マイラは自分はロイにふさわしくないと思うようになり、ついにマーガレット夫人に全てを打ち明けてしまいます。夫人の部屋から出たマイラはロイと会う。ロイは彼女に、これからは一心同体だという思いを込めてビリケン人形を返します。
マイラは、翌朝置手紙を残してロンドンへ帰りました。ロイも後を追い、キティと共にマイラを必死に探します。場末の酒場や、いかがわしいダンスホール、そしてウォータールー駅へ。ロイはマイラの身に何が起きていたか理解し、彼女がもう二度と自分の前に現れないことを悟ります。その頃、思い詰めたマイラは、ウォータールー橋で軍用トラックに身を投げて自ら命を絶ってしまったのでした。事故現場にはあのビリケン人形が落ちていた。
再び1939年、「愛していたのはあなただけよ」マイラの真実の言葉を胸に、ロイはウォータールー橋を立ち去っていくのでした。おしまい。
追記
あの大阪のビリケンがなぜ、この物語に出るのか不思議に思いまして、調べました。ビリケン人形の由来はとても興味深いです。ビリケンは、1908年にアメリカの芸術家フローレンス・プレッツ(女性)が夢で見た幸運の神様をモデルに制作したものです。もともと、日本に対する当時の流行というか、そんな趣向があり、人形の中に日本的な形を表したのが、ビリケン人形だということです。(なるほどーーー。)名前の由来は、当時のアメリカ大統領ウィリアム・ハワード・タフトの愛称「ビリー(Billy)」と、小さいを意味する「~ken」を組み合わせたものです。
ビリケンは「万事あるがままの神」として知られ、足の裏を掻いてあげると願いが叶うと言われています。日本には1909年頃に伝わり、大阪の通天閣にあるビリケン像が特に有名で、いまでも活躍しています。
また、昭和28年、日本で大ヒットした『君の名は』は、戦後この映画のリバイバルヒットで、その流れで作られたものだと思うのですが、確証はありませんが、大まかなストーリーがかなり似通っています。