【フルート用無料楽譜】童謡『青い目の人形』(a japanese nursery song “Aoi ME no Ningyou”)Flute sheet music

日本の名曲集
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演奏例

楽譜のご紹介

以前、あげてあるB♭用の楽譜のアクセスが多いので、他の移調楽器用の譜面も作りました。特に難しくはないですが、初心者にとっては、いろいろな練習となることと思います。といっても楽器もいろいろありますので、フルート用に楽譜を作り替えて物をつけておきます。間違いも訂正しました。


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≪青い目の人形の由来≫
日露戦争後に日本が満州の権益をにぎると、中国進出をうかがっていたアメリカ合衆国とのあいだで政治的緊張が高まっていました。また、アメリカ本国においても、日系移民がアメリカへ大量に移住することにより、経済不況の下にありながら1日1ドルの低賃金でも真摯に働く日本人によって、アメリカ人の労働力を損ねる恐れがあったためや、予てから根付いていた人種的偏見等も相俟って、1924年にジョンソン=リード法(通称「排日移民法」)が成立した事もまた、日本国内での反米感情を煽ることになり、両国民の対立を深める一因になったのです。

そんななか、1927年(昭和2年)3月、日米の対立を懸念し、その緊張を文化的にやわらげようと、アメリカ人宣教師のシドニー・ギューリック博士(1860年 – 1945年)が「国際親善、人と人との理解は大人になってからでは遅いと子供の世代からの国際交流を重視すべく「世界の平和は子供から」をスローガンとして掲げ、人形を通じての日本との親善活動がおこなわれました。

近代の日本財界の重鎮である渋沢栄一(1840年 – 1931年)も日米関係の悪化を憂慮しながら、ギューリックの提唱に共感し、この事業の仲介を担い、実際、アメリカから12,739体の「青い目の人形」が贈られたのでした。お話としては、私の父母が生まれたあたりの話です。その後、大戦となってその人形もほとんど消失したということです。その後の顛末はアルトサックスのほうに書きました。

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