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【アルトサックス用無料楽譜】「私の彼氏」ガーシュイン(”The Man I Love” Gershwin)Altosax sheet music

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ガーシュインの生い立ち

この曲の作曲家ジョージ・ガーシュインの曲は、多くはスタンダードナンバーとして、知らずに聞いている場合が多いいと思います。私の場合は、はっきりガーシュインの曲として認識していたのが、『ラプソディー・イン・ブルー』とか、『巴里のアメリカ人』といったものでした。

そんなジョージ・ガーシュインはユダヤ系ロシアの移民の息子として、ニューヨークのブルックリンに生まれました(1898年、もとの姓はゲルショヴィチ Gershovich < *Hirschowicz)。

初めてクラシック音楽に触れたのは小学生のときに聴いたドヴォルザークの「ユーモレスク」だということです。この辺は、やはり時代なのだろうと思います。ここまでは、私もいい勝負をしているのですが、その後はもちろん大きく違います。

父親は、ジョージが12歳の時、兄のアイラ・ガーシュウィンに音楽を学ばせようとピアノを買ってやったが、文学者肌のアイラはピアノを弾かず、代わってジョージがピアノに親しむことになり、13歳の時にピアノ、和声を習いました。(私がこの年齢の時、ブラスバンドに入ってトロンボーンを一生懸命吹いていたころです。)

出世作となったのは、作詞家アーヴィング・シーザーとの共作になる1919年の歌曲「スワニー」で、人気歌手アル・ジョルソンに気に入られて彼が繰り返し歌ったことからヒットし、人気ソングライターとなります。

1920年代以降は、作詞家となった兄アイラ・ガーシュウィンと組んで、レビューやミュージカル向けに多くのポピュラー・ソングを送り出した。ガーシュウィン兄弟によって作られ、後年までスタンダード・ナンバーとして歌われている歌曲は『私の彼氏(The Man I Love)』『バット・ノット・フォー・ミー』『アイ・ガット・リズム』などをはじめ、おびただしい数に上ります。

クラシックにも取り組み、1924年には『ラプソディ・イン・ブルー』(Rhapsody in Blue)を発表。当時ガーシュウィンにとって管弦楽法は未知領域だったためファーディ・グローフェの協力を得て、ジャズとクラシックを融合させたこの作品は「シンフォニック・ジャズ」の代表的な成功例として世界的に評価されました。

この時、ガーシュインは25、26歳です。若くして、その才能を開花させたといっていいと思います。しかし、脳腫瘍でわずか38歳で亡くなっています。今と違い、医療の発達していない当時は、相当の苦痛を伴う病気であったようです。

演奏例

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